遺書

世の中に絶望した人間の小言

生きるのはつらい、でも死ぬのは怖いからとりあえず生きている。

◇はじめて死を意識したのは、小学生のときだった

 僕は小4でいじめを受けた。その時、既に死にたいという感情を持っていたのを覚えている。誰に教わったわけでなく、死という感情に支配されていた。もともとネガティブな思考回路を持っていたから、それ以前にも死にたいと思ったことはあったのかもしれない。ただ、はっきりと死にたいと思ったのはこのときだった。

 それ以来、死にたいという感情は常に頭の片隅にあった。嫌な思いをするたびに、その思いは膨らんだ。テストの点数が悪かった、無視された、馬鹿にされた、先生に怒られた、親に怒られた、部活でミスをした。そんな身近で起こる全ての物事に敏感に反応していた。そういう多感な時期、と思われるかもしれない。ただ、この感情は現在へも続いている。思い通りにいかないことがあると、死にたいという感情がマグマのように湧き上がってくる。

 

◇親に迷惑をかけてはいけないという強すぎる思い

 死にたいとは言うものの、これまでに死のうとしたことはない。舌を噛んだり、手の甲を強くつねったりしたことはあるが、血を出すようなことはしていない。それは、傷ついたら悲しむ人間がいることを知っているから。僕の場合一人っ子で、祖父母も幼いころに亡くなった。つまり家族といえば父と母だけだった。大事にされていたからこそ、迷惑はかけたくなかった。だが、それは同時に、常にいい子でいなければならないと自分を追い込んでいった。

 僕が寝静まった後、居間で話をするのが両親の日課だった。しかしある日、僕がいじめられているのではないか、という話が聞こえてしまった。相当ショックだった。それ以来、僕は自分自身が両親にどう思われているのかを異常なほど気にした。毎晩、両親の話を盗み聞いた。学校でいじめられても平静を装った。どんなにつらい時も、何事もなかったかのように過ごした。勉強の成績も常に学年トップをとった。両親の顔色を常に気にして生きた。

 

◇死にたいという感情と、死んではいけないという感情の矛盾

 成績は良かったので、高校は問題なく地元の進学校へ入学した。死にたいと思うことはあったが、小中の頃に比べればかなり頻度は減った。親の目は気にしたが、その中でもなんとかうまくやる方法を自分なりに見つけていた。

 しかし、死にたいという感情と、死んではいけないという感情の矛盾に苦しむようになった。世間の常識では、どうやら自ら死を選ぶことは是とされない、寧ろ悪だと思われているようであった。死にたいという自然に湧き上がってくる感情と、それは絶対にいけないという理性に挟まれ、それがさらにストレスになる悪循環が始まった。

 

◇死はただ怖い

 死は怖い。死んだらどうなるかわからないから。ただ一つ、この世から意識がなくなるのは間違いない。その真理こそが怖い。だから生き続けている。

 例えば、死んだ後に天国へ行けるという保証があるなら、喜んで自死を選ぶだろう。この世で生きるよりも、絶対に楽しいから。でも、そんな保証はどこにもない。この世には生きた人間しかいない。

 宗教でも信じられたらいいのにと思ったことはある。正直今でも思っている。だが、僕は作りモノを信じることはできない。真理でないことはすべて偽物だから。厨二病の考えかもしれないが、寧ろその逆で、超現実主義者だと思っている。誰かの作ったモノを信じることがどうしてもできなかった。だからこそ、宗教にハマれる人間が羨ましく思うこともあった。

 

◇結果として、なんとなく生き続けている

 死にたいと思う感情は誰もが持つ感情なのかはわからない。実際に自殺する人間がいる以上、多くの人間が思うことはあるのだろう。ただ、僕は死ぬことはできない。死は怖いから。僕の場合、死の恐怖よりも現実の恐怖が勝ったときに自死を選ぶのだろうか。

 

◇あとがき

 日本では年間の自殺者が年間約3万人いるという。異常な数字である。でも正直、死のうと思って行動できるその行動力には尊敬してしまう。

死についてこれからも考えていくことになるが、どう頑張っても正解はないのだろう。だからこそ、とりあえず、なんとなく生きていくことになるんだろうな…っていうお話でした。